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社会保険労務判例フォローアップ

平成26年3月28日

5.退職勧奨において気を付けるべき点

事案の概要

Xは、平成8年に飲食店の経営などを目的とするY社と雇用契約を締結した。
Xは、平成19年からY社の東京事務所で人事部労務厚生課サブリーダーとして勤務。
Y社は、平成23年9月1日、適格退職年金制度廃止に伴い退職年金制度を変更し、従業員各人に退職金予定額を通知した。
Xは、上司・同僚など約20人に対し、退職年金制度変更に関する非難メールを送付した。
平成23年9月3日、Y社のA部長は、Xに対し、退職勧奨を行った
同月14日、Xは、10月5日をもって退職する旨の退職願を提出した

本件は、以上の事実関係のもと、XがY社に対して、退職の意思表示は、A部長の退職勧奨に応じなければ懲戒解雇となり、その場合は退職金も支給されないと誤解したために行ったとして錯誤無効を主張し、Y社に対して労働契約上の地位の確認および未払賃金等の支払を求めるとともに、退職の強要が不法行為にあたるとして慰謝料等の請求を求めて訴えたという事例です。

 

争点

本件における大きな争点は、①Xは退職に従わないと懲戒解雇になり退職金が不支給になるといった誤解に基づいて退職の意思表示を行ったとして、錯誤無効が認められるか、②退職強要による不法行為が認められるか、の2点です。

 

本判決の判断

①Xが退職願提出を決断するに至った動機は曖昧である

A部長が懲戒処分や解雇の可能性、懲戒解雇による退職金不支給について言及したとは認められない

Xから退職勧奨に応じなかった場合の処遇等についての言及がなかった

上記①~③によると、Xが主張するような誤解が生じていたことは疑問である

仮に、誤解により退職の意思表示をしたものだとしても、動機の錯誤と言わざるを得ず、そのことが表示されたとは一切うかがえない

退職勧奨の面談後1週間以上の考慮期間があり、この間、Xは労働局に相談し、安易に退職届を出すことがないよう指導を受けていることに照らせば、退職の意思表示が真意に基づかないものということはできない

Xの本件メール送付は、人事部職員として不適切な行為であったと言わざるを得ないし、会社の信用、信頼を失う行為で他部署での受け入れも困難であると判断して、退職勧奨を行うこと自体、違法、不当であるとは評価出来ない

A部長による退職勧奨は、退職勧奨に応じない場合の不利益を殊更に強調したり、甲の人格を否定するような罵声を浴びせたりしたというようなものとまではいえない

以上の判断のもと、裁判所はXの請求を全面的に退けました。

 

なお、上記2の動機の錯誤とは、例えば、特別な性能がついていると思ってA商品を買おうと思ってA商品を購入すると意思表示したが、実際は特別な性能がついていなかった場合を指しますが、原則、その動機(特別な性能がついていること)を意思表示するときに相手にも分かるように表示していなければ錯誤による無効(民法95条)を主張できないというのが確立した判例です。

コメント

退職勧奨とは、「雇用する従業員に対して退職を促すこと」をいいます。

この退職勧奨を直接規律する具体的な法律はなく、基本的に使用者の裁量に委ねられています。しかし、だからといって使用者が自由に行って良いというわけではなく、労働者が不本意ながら退職届を提出し、後になって退職の意思表示の効力を争うというケースが多くなっています。

本判決は退職勧奨に基づく退職の意思表示が無効ではないと判断された判例ですが、一方で、退職の意思表示を無効とする裁判例も多くあります。

例えば、

労働者を長時間一室に押しとどめて懲戒解雇を仄めかして退職を強要したケースで、強迫による取り消しが認められた裁判例(ソニー事件、H14.4.9東京地裁判決)
客観的には懲戒解雇事由が存在しないのに、それがあるかのように労働者を誤信させて退職の意思表示をさせたというケースで、錯誤無効や詐欺取り消しを認めた裁判例(富士ゼロックス事件、H23.3.30東京地裁判決)
社会的相当性を逸脱した態様での半強制的で執拗な退職勧奨行為は不法行為が成立するとした裁判例(エールフランス事件、H8.3.27東京高裁判決)

などがあります。

これらの裁判例と本判決を踏まえると、退職勧奨を行う上でのポイント(やってはいけないポイント)がいくつか見えてきます。

 

今回の判決で会社が勝訴したポイントは、退職勧奨を行った上司が、懲戒処分や解雇の可能性、懲戒解雇による退職金不支給等に関して、何ら言及していなかったことに尽きると思います。つまり、重要なのは、従業員の「任意性」が確保できているかどうかなのです。

「任意性」とは、言い換えると、自由な意思形成により退職の意思表示を引き出すということです。後から従業員に、強制された、騙されたと、言われないように注意しなければなりません。退職勧奨行為に強迫的な要素があると、パワハラ行為とみなされてしまう可能性もあります。最終的に解雇に至った場合に、解雇無効と判断されるファクターの1つにもなりかねません。

そのために心掛けるべきことは従業員の「人格の尊重」です。どうしても上司と部下、使用者と従業員という関係があると、対等な当事者として話をすることが難しくなり、無意識的に命令口調、威圧的口調になってしまうことがあります。そうすると従業員の任意性を確保できなくなり、不法行為責任が発生する可能性すら出てきます。

 

具体的には、以下のような点に留意しましょう。

(1)まず、退職勧奨を行う際は、従業員の仕事の妨げにならない時間帯を選んで下さい。従業員の都合や意向を無視して面談に付き合わせたり、非常識な時間や頻度で面談してはいけません。

そして、場所は、心理的圧力が加えられたことを推認させないよう、広くて窓のある明るい部屋で行うよう心掛けましょう。その際、従業員を座らせて、上司が立ったまま話をするのは威圧的行為と解釈されかねませんのでやめましょう。

1回の面談時間は15分~30分にとどめ、長くても1時間を超えないようにしましょう

(2)退職勧奨担当者は、決して従業員を侮蔑したり人格を軽視する言辞を用いてはいけません。長期勤務者に対してはその功労に対する感謝の意を伝えることも説得に役立つことがあります。その上で、退職して貰いたいという希望を伝え、その理由を懇切丁寧に説明して下さい。当該従業員に懲戒解雇相当な理由が生じているとしても、退職以外に選択肢がないかのような説得方法は避けて下さい

本人の反省の度合いによっては、最後のチャンスとして猶予期間を与えるという方法が有用な場合があります。3か月間の観察期間を置き、本人に改善努力させる項目を書面で誓約させて様子を見るという会社の対応が評価された裁判例もあります。

(3)退職勧奨を受けると、従業員が反発して感情的になることがあります。しかし、会社側の人間まで感情的になってはいけません。問題社員対策全般に通じることですが、重要なのは、会社の措置に対して当該従業員がどういう態度をとったか、そのことを記録することです。議論や言い争いをする必要は全くないのです。

普段から当該従業員と上司との間に軋轢が生じている場合は、退職勧奨担当者を上司以外の者とすることを考慮することも検討に値します。また、2人以上で実施すると1人が感情的になっても抑止が期待できます。

(4)退職勧奨時には、従業員は退職の条件や手続について知りたいと思うはずです。退職勧奨担当者に対しては、その説明が出来るように実施前に必要な情報提供をきちんと行うようにしましょう。話の切り出し方、説得方法、予想される質問に対する回答の仕方などについて、事前のリハーサル等で指導出来ればさらに良いと思います。

(5)面談の経緯や結果については、出来る限り詳細に書面に残しておきましょう

今回の判決では、Xは、退職勧奨の際に、「人事部の仕事取り上げる」「有休消化してやめたら」「信頼を裏切ったんだ、やめたら」など言われ、テーブルを叩くなど罵声を浴びせられたという主張をしましたが、結局立証することが出来ませんでした。最近は、労働者も面談内容を秘かに録音している場合がありますが、逆に言うと、言動さえ注意すれば、退職勧奨の際の会話の録音など客観的証拠があればより確実に勝訴できる可能性が高まるわけです。会社としては、退職勧奨の面談の経緯を録音しておくことが、労働者の主張に対する反証をする意味で重要といえるでしょう。

(6)退職勧奨に対して従業員が返答を保留した場合に、再度退職勧奨のための面談を行うことは構いません。ただ、2か月から4か月の間に10回以上退職勧奨したことを「執拗」な退職勧奨と認定した裁判例もありますので、面談の頻度には注意しましょう。また、従業員が明確に拒絶の意思を示した場合は、その理由を聞いて説得の余地があるかを確認するのは構いませんが、単に同じ情報を伝えてその意思の変更を求めることは控えた方が無難です。

 

最後に

退職勧奨に限らず、問題社員に対して会社がとるべき対策メニューにはいくつかあります。まずは、注意・指導、教育、配置転換、降職、人事考課への反映、軽い懲戒処分等の手段を検討し、退職勧奨は、それらが功を奏さない場合に登場する解雇前の最後の手段と捉えておいた方が良いでしょう。そして、もし退職勧奨をされる場合は、上記のような事柄に注意して下さい。

退職勧奨以外の問題社員に対する具体的な対応方法についてはまた別稿でお話ししたいと思います。

 

参考

平成24年(ワ)第15553号 地位確認等請求事件

平成25年6月5日 東京地裁判決

* 事案を分かりやすくするため一部事実を変更しています。

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