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社会保険労務判例フォローアップ

令和4年2月8日

37.トランスジェンダーのトイレ使用に関する判例(経済産業省事件)

今回は、身体的に男性であり自認している性別が女性である、いわゆるトランスジェンダーの公務員が女性トイレの使用を制限されたこと等の違法性が問題となった裁判例をご紹介します。職場での女性トイレの自由な使用を認めた一審の判断と異なり、本件の控訴審では一転して公務員の主張を認めませんでした。多様な性的指向が認められる現在において、トランスジェンダーの従業員への対応を迫られるケースも多くなってくると思いますので、その1つの参考事例としてご紹介します。

 

事案の概要

Xは、経産省に勤務する国家公務員である。
Xは、身体的性別は男性であるが、性自認が女性であるといういわゆる性同一性障害者との診断を平成11年頃受けた。なお、性別適合手術は受けておらず、戸籍上の性別変更はしていない
Xは、平成21年7月、所属部署の長に性同一性障害であることを伝え、次の異動を契機に女性職員として勤務したい旨の要望を申し入れ、このことは人事等を担当する秘書課に伝えられた。
Xは、平成21年10月、調査官や室長、医師と面談し、女性職員として勤務することを希望することや、ガイドラインで性別適合手術を実施するための条件として希望する性別での実生活経験の存在を挙げていること、Xが近い将来に性別適合手術を希望しておりそのためには職場での女性への性別移行が必要であること等を記載した文書を提出し、要望事項を伝えた。Xの要望事項の1つに、女性用休憩室及び女性用トイレの使用を認めること、があった
その後、調査官は、Xと面談を重ね、また顧問弁護士の意見を聞くなどして対応を検討した。また、平成22年7月、他の職員に対して、Xが性同一性障害者であること等について説明するための説明会を実施した。その際、Xが女性用トイレを使用すること等について他の職員の意見を聴取した。
Xは説明会の翌週から女性の身なりで勤務するようになり、経産省は、Xに対して、執務室がある階とその上下1階のトイレ以外という制限付きで女性トイレの使用を認めた(本件トイレに係る処遇)
Xは、外見上女性と同様であるのに、本件トイレに係る処遇によって同省庁舎内の女性用トイレを自由に使用することができず、性別適合手術を受けて戸籍上の性別変更をしない限り、将来の異動先で女性トイレを使用するには性自認についての説明会を要するなどと言われたなどとして、平成25年12月27日付けで、人事院に対し、戸籍上の性別及び性別適合手術を受けたかどうかに関わらず、他の一般的な女性職員との公平処遇を求め、国家公務員法86条に基づき措置要求をしたところ、人事院から平成27年5月29日付けで措置要求は認められない旨の判定(本件判定)を受けた。

本件は、上記の事実関係のもと、Xが本件判定はいずれも違法である旨を主張して、本件判定に係る処分の取消しを求めるとともに、かかる制限を受けていることや、面談時の上司の言動について、経産省の職員らがその職務上尽くすべき注意義務を怠り精神的損害を受けたと主張して、国に対し、1600万円余りの慰謝料等を求めた事案です。

争点

本件の争点は多岐にわたりますが、本稿では、最も大きな争点である、経産省がXに対して執務室がある階及びその上下1階の女性用トイレの使用を認めない処遇を継続したことが国家賠償法上違法といえるか否かという点について見ていきます。

一審及び控訴審の判断の要旨

 

一審(東京地裁)は、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として国家賠償法上も保護されるとし、トイレが通常の衛生的な社会生活に不可欠のものであることに鑑みると、その真に自認する性別に対応するトイレの使用を制限されることは、当該個人が有する重要な法的利益の制約に当たる、としました。

その上で、①経産省において、Xが女性ホルモンの投与により、遅くとも平成22年3月頃までには女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的にも低い状態に至っていたことを把握していたものということができること、②本件庁舎内の女性用トイレの構造に照らせば、当該女性用トイレにおいては、利用者が他の利用者に見えるような態様で性器等を露出するような事態が生ずるとは考えにくいこと、③Xについては、私的な時間や職場において社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであったこと、④2000年代前半までに、Xと同様に、身体的性別及び戸籍上の性別が男性で、性自認が女性であるトランスジェンダーの従業員に対して、特に制限なく女性用トイレの使用を認めたと評することができる民間企業の例が少なくとも6件存在し、経産省においても平成21年10月頃にはこれらを把握することができたこと、⑤立法の動きや施策、各種提言等を踏まえると、我が国において、平成15年に性同一性障害者特例法が制定されてから現在に至るまでの間に、トランスジェンダーによる性自認に応じたトイレ等の男女別施設の利用を巡る国民の意識や社会の受け止め方には、相応の変化が生じていることを挙げ、これらの事情から、国が主張するようなXと女性職員との間で生ずるトラブルの可能性はせいぜい抽象的なものにとどまり、経産省はこのことを認識できたと判断しました。さらに、⑥国が、説明会でXの女性用トイレ使用について抵抗感等を述べる声があったことを主張したことに対しては、使用を制限した女性用トイレに限ってトラブルが生ずる可能性が高いとはいえないし、抵抗感等がトラブルを具体的にもたらすほどのものであったと考えることもできないとし、仮にトラブルが実際に起きたと想定しても、事後的な対応によって回復しがたい事態の発生を回避できないものとは解し難いこと、⑦過去に男性トイレにいたXを見た男性が驚いてトイレから出ていくことが度々あったこと等からすると、女性の身なりで勤務するようになったXが男性用トイレを使用することは、むしろ現実的なトラブルの発生の原因ともなり困難であること、⑧多目的トイレについて、本来利用すべき高齢者や障害者等に該当せず、Xにその利用を推奨することは、場合によりその特有の設備を利用しなければならない者による利用の妨げとなる可能性をも生じさせるものであることが否定できないことなどを指摘しました。

また、Xの身体的性別又は戸籍上の性別が男性であることに伴って女性職員との間で生ずるおそれがあるトラブルを避けるためという国の主張については、Xが庁舎内において女性用トイレを制限なく使用するためには、その意思にかかわらず、性別適合手術を受けるほかないこととなり、そのことがXの意思に反して身体への侵襲を受けない自由を制約することになるという一面も有しているとの指摘もなされています。

以上より、本件判定のうち、Xに職場の女性トイレを自由に使用させることとの要求を認めないとした部分を取り消しました。なお、経産省職員等の言動のうち、「なかなか手術を受けないんだったらもう男に戻ってはどうか」という発言のみを違法としました。

 

これに対して控訴審では、上記発言に対する慰謝料は認めましたが(金額は弁護士費用加えて11万円)、女性トイレの使用については、本件判定にかかる処分の取り消しを認めませんでした。

その理由として、本件トイレに係る処遇は、一定範囲のトイレの使用を認めない点でXの利益を侵害しているものの、①経産省は、Xが、平成21年10月23日には、Xから近い将来に性別適合手術を受けることを希望しており、そのためには職場での女性への性別移行も必要であるとの説明を受けて、Xの希望やXの主治医である医師の意見も勘案した上で、対応方針案を策定し、本件トイレに係る処遇を実施したのち、Xが性別適合手術を受けていない理由を確認しつつ、Xが戸籍上の性別変更をしないまま異動した場合の異動先における女性用トイレの使用等に関する経産省としての考え方を説明していたのであって、経産省において、公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があるとは認め難いこと、②経産省としては、他の職員が有する性的羞恥心や性的不安などの性的利益も併せて考慮し、Xを含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を負っており、本件トイレに係る処遇の実施もかかる責任を果たすための対応であったといえること、を挙げています。

コメント

一審も控訴審も、個人が真に自認する性別に即した社会生活を送ることは、法律上保護された利益であるとしていることは共通しています。

結論が分かれた理由は、控訴審が、国賠法上の違法性について、権利等を侵害された個人との関係で公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情がある場合に限り認められると限定的に解し、経産省の裁量を重視したことに対し、一審は、個人の権利利益を制約する正当性をより厳格に判断したという点にあるかと思います。

本件は、最高裁に上告されていますので、最高裁での判断が注目されます。

控訴審では結局女性トイレの使用制限が違法だとは判断されなかったので、そこだけ見ると、トランスジェンダーの自由保障の範囲が狭くなったように見えます。

ただ、本件の判断は、国家賠償という枠組みの中で判断したものであり、民間企業における不法行為が問題になる場合には、また違った判断がなされる可能性があります。本件控訴審でも、Xが経産省に勤務する公務員であり、民間企業とは異なる国家公務員としての法律関係が適用されることや、本件トイレに係る処遇は、事業主の判断で先進的な対策がしやすい民間企業とは事情が異なり適切な先例が存在しない、などという前置きが付されています。また、一審において、制限なく女性用トイレの使用を認めたと評することができる民間企業の例が少なくとも6件存在することが理由の1つに掲げられていることから、今後民間企業での実例が増えてくれば、判断も変わってくる可能性があります。

いずれにせよ、控訴審が挙げた理由には、経産省が、Xの要望や主治医らの意見、経産省の顧問弁護士の意見等を参考にしつつ、Xの希望を十分考慮したものであるという点が大きなポイントとなっていることから、民間企業においても、従業員の要望を適切に把握し、その権利としての重要性を認識した上で、第三者の意見を聴取しつつ対話を重ね、他の従業員との調整を図っていくことが重要です。

ところで、トランスジェンダーとは、生まれたときの身体的性別と性自認が一致しない人を指すとされています。そして、トランスジェンダーに関して定められた法律は、戸籍上の性別の変更を可能とする、平成15年に制定された性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律くらいしかありません。

但し、指針では、例えば、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」において、被害を受けた者の性的指向又 は性自認にかかわらず、当該者に対する職場におけるセクシュアルハラスメントも、本指針の対象となるとされており、また、「事業主が職場における優越的な地位を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」においてパワーハラスメントに該当する例として、性的指向・性自認に関する侮辱的な限度や、本人の了解を得ずに他の労働者に暴露することが挙げられています

トランスジェンダーは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルとともに頭文字をとってLGBTと呼ばれますが(I:インターセクシャルやQ:クエスチョニングなどを加えることもある)、性的指向(Sexual Orientation)や性自認(Gender Identity)などの属性については、その頭文字をとってSOGI(ソジ)と呼ぶこともあります。近年、性的指向・性自認に関する差別や嫌がらせを受けることがSOGIハラと呼ばれ、社会問題になっているという現状もありますので、会社としてそういった問題にどのように対応していくべきかについては、また別稿でお話ししたいと思います。

参考

平成27年(行ウ)第667号ほか 行政措置要求判定取消請求・国家賠償請求事件

令和元年12月12日 東京地裁判決

令和2(行コ)第45号 行政措置要求判定取消、国家賠償請求控訴事件

令和3年5月27日 東京高裁判決

* 事案を分かりやすくするため一部事実を簡略化しています。

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