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消費者問題

令和3年5月12日

33.事業者のための消費者問題 ―消費者紛争はどのように処理されているか その4―

はじめに(前回の復習と消費者立法における知見活用)

前回は行動経済学や社会心理学の知見によって商法別に整理された事業者の勧誘方法や消費者的心理・行動特性を、裁判官が消費者紛争に活用することにより、裁判官が消費者の心の動きとか、営業担当者の行動の意味づけなどが理解しやすくなり、事案についての具体的イメージを持って、事実認定や評価にあたることができ、事案に即した解決の手がかりをつかみやすくすることを述べました。

今回は、そうした事実認定や評価が、どのように展開してゆくのかについて、書面重視の一丁上がり方式の判断と比較して説明することになっていました。ただ、考えてみれば裁判の場のみならず、すでに立法の場においてもそうした行動経済学や社会心理学の知見が利用され、特定商取引法などでは業態ごとに類型化された規制がなされて、これが消費生活センターで活用されて紛争解決に役立っています。また民事上の効果がないとはいえ、各地の消費生活条例には、行動経済学や社会心理学の知見が活かされて「不当な取引行為」が類型化されて定められており、違法性の評価を根拠づける手がかりを与えています。

即ち、各種の消費者保護立法が適用される場面では、立法的解決によって行動経済学や社会心理学の知見が利用されているといえるし、これらの消費者保護立法が直接適用されない「すき間事案」(これが裁判所に持ち込まれる消費者紛争になる)においても、行動経済学や社会心理学によって整理された事業者の勧誘方法や消費者的心理・行動特性の知見を積極的に事実認定に活用することによって、意思表示の場面における意思の形成過程の問題を暴いたり、公序良俗・信義則などの民法の一般条項や、不法行為における民事違法の評価に結びつけやすくなるということです。以下に、前回の「点検商法」の例で説明してみましょう。

 

屋根補修工事契約の通常例と点検商法の違い

本来、屋根工事の場合なら、まず雨漏りが起こってから、業者に連絡して原因を調べてもらい、見積もりを経て契約し、工事に至るというプロセスが普通です。それをわざわざ呼ばれもせず、雨漏りも起こっていない段階で、見知らぬ業者が高齢者の家にわざわざ点検に来て、屋根が傷んでいると工事を勧誘するのは、契約の動機において必要性を疑わせる事情があるといえるのではないでしょうか。そして本当に屋根が傷んでいる場合であれは、その箇所を写真に撮るなどすれば傷んでいる場所や傷み具合を容易に明らかにできるし、工事の必要性を消費者に説明することもできます。他面、屋根が傷んでおらず契約できなければ、業者としては無料で点検しただけの結果に終わってしまうことになります。

けれども契約書だけを見れば、それが点検商法によるものかどうかはわかりません。即ち、単に契約書にはどの工事をいくらでするということが書かれてあるだけであり、書面重視の一丁上がり方式の判断であれば、請負業者が未払の工事代金を請求したら、その支払いを命じる判決になってしまうでしょう。

 

行動経済学・社会心理学を活用した事実認定と評価

しかし上記の点検商法についての社会心理学、行動経済学における知見を裁判所が事実認定に活かし、経験則またはそれに類する推認によって、契約書の記載からは導けない判断(事実認定)を示すとしたらどうなるでしょうか。

契約書には工事内容と代金額が書かれてあり、消費者がそれにサインして工事がなされたことには間違いがないが、契約に至る背景、動機、心理、消費者や業者の属性などを考慮に入れて考えると、高齢で判断力も十分でない消費者が、雨漏りも生じていない段階で、突然業者の訪問を受けて無料で点検してあげると言われ、屋根が傷んでおり今なら安く修理することができるが、放置すると雨漏りがしてかえって高くつくと勧誘された、専門業者が親切で言ってくれているのだから今工事しないと損だ、雨漏りがしない内に早くしようという心理状態が働いてこの契約書の記載に至った、消費者としては専門業者の言うことを信じており、本当に屋根が傷んでいたかどうかは確認していないが、まだ雨漏りは生じていなかったし、もし近い内に雨漏りがするような状態でなかったのであれば消費者は契約をしていなかったという状況であった、このような状況に鑑みれば、工事を勧誘する業者としては、屋根が補修を必要とする状況であったことや補修のためにどのような工事をなすべきかについて、消費者に対して根拠を示して丁寧に説明する必要があるが、業者はそのような手段を講じておらず、業者によれば、屋根のどこにどんな傷みがあるかを黙視で確認して、それを消費者に口頭で伝え、契約書を作成しただけということであり(傷みの生じた場所やその傷み具合、それを直すためにどのような工事をするのか等について、業者から具体的な資料を示して説明したことはなく、消費者からの質問もなかった)、消費者は補修の必要性や補修工事の内容につき十分に理解ができているとはいえない状況であった。このように消費者が真に補修が必要かどうか、どんな工事をするのかが理解できていない状態でなした屋根補修工事の請負契約は、消費者の真意とはいえない。即ち、本件請負契約は、本当は屋根が傷んでおらず補修の必要性がないにも関わらず、業者がこれを偽って契約させたような詐欺事案とはいえないまでも、注文者たる消費者の錯誤によるもので、無効と言わざるを得ない・・という判断の流れになってゆくと思われます。

 

まとめ

このように行動経済学や社会心理学を活用することによって、消費者紛争の実情に即した民事裁判の審理と判断が期待できます。事業者の皆様におかれましては、このことによって正当な事業が阻害されるわけではなく、証拠の偏在と一丁上がり方式の裁判によりこれまで見逃されていた悪質な事業者が、正しく裁かれてその悪質性が暴かれる事態が増えてきたということです。それは、むしろ悪質業者を駆逐することに繋がり、公正な市場確保の見地からしても喜ばしいといえるのではないでしょうか。

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