平成25年12月2日
犯罪被害者の支援に関与して数年が経ちました、その中で刑事公判に立ち会うこともあります。その経験の中でしばしば目にするのが以下のような光景です。
犯罪事実を認めた事件では、被告人は決まって判で押したように、謝罪または反省の言葉を並べてきます。「自分が被害者(遺族)だったなら絶対許さないと思う」、「逮捕以来ずっと自分の過ちの原因を考えている」、「反省している」、「服役が終わったら被害弁償を行う」、「一生かかっても償う」、…
また、弁護人は、被害者に対して、以下のようなことをよく言います。被告人には資力はありません。この機会(判決までに)にかき集めた賠償金を受け取ってもらえなければ、もう被告人から賠償してもらうことは期待できないでしょう。だから、用意できた○でお許しください。
しかし、これは誤っていると思います。刑事裁判(有罪判決)は責任の確定であり、そのコロラリーとして民事の責任を負うものです。破産法は、故意または重大な過失により加えた人の生命または身体を害する不法行為などにより発生した債務についてを非免責債務(破産しても帳消しにならない債務です。)としています。刑事収容施設法は、作業報奨金の損害賠償への充当等および余暇時間帯等における労働収入(自己契約)を認めており、刑の執行の段階においても、加害者による損害賠償責任が果たされるような制度設計があります。
制度の運用と密接に関連することですが、刑事判決が民事責任の出発点であり、終着点ではないという法曹関係者の認識が本来の制度の運用の出発点であろうと思います。公判はじきに終わります。しかし、被害者(遺族)の被害はそこでは終わりません。
このような素朴な疑問から被害者支援にかかわってきた弁護士会の有志で犯罪被害者の損害の回復の現状と課題、これからどう手当てすべきかついて、勉強会をしています。犯罪被害者の損害賠償請求と回復、犯罪被害者給付金の支給状況、刑事判決確定後の刑の執行とその後の更生と損害賠償責任の履行について、白書や刊行物、犯罪被害者の支援弁護士の体験の情報交換、犯罪被害者の方、関係機関などから情報を得て、調査を進めています。まだまだ、勉強会を始めたばかりであり、仲間も日常の多忙な生活の合間を縫って集っているため、夜明け前にまだらにうっすらと景色が見えてきているようなものです。
ところで、内閣府の「犯罪被害給付制度の拡充及び新たな補償制度の創設に関する検討会」では主として犯罪被害者給付金の支給の拡充(対象となる被害の拡大と個々の補償額の増額)が中心テーマになっています。しかし、これまでの議事の報告から、二言目にはお台所事情で雲行きは怪しい限りです。
実際、日本国の財政収支は惨憺たる状況であり(税収より国債による借り入れの方が多いことが常態化、長引く不況、少子化、若者の勤労意欲の後退…。)、今後は緊縮財政が待ち受けています。
だから、まず、犯罪被害者給付金制度の持続的発展を支える財源の確保の観点から、加害者に対する求償も考えるべきと思います(国が求償できるという条文はありますが、現実に行使した例はほとんどありません。オウム真理教が強制破産させられた際、破産債権として届け出された分くらいです。)。すなわち、加害者が今持っている財産から求償、加害者が将来取得する財産から求償(多くの場合、特に、重大犯罪ほど損害発生時に加害者に十分な資力がありません。)するための仕組みを作ることです。一定程度加害者から回収できれば、給付金制度の持続と拡充も見えてくるのではと思います。その先に、国等の公共的機関が加害者の民事賠償責任について一旦立替払いする制度が望ましいと思います。そして、国等が犯罪被害者から損害賠償請求権を取得して、これを代りに行使するのです。これが財政的・制度的に可能かどうか、ゆっくり勉強を進めたいと思います。
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