平成29年1月14日
中間試案では、遺言制度のあり方に関しても幾つかの提言を行なっていますが、今回はその内、「自筆証書遺言の方式の緩和」及び「自筆証書遺言の公的保管制度の創設」についてご説明致します。
自筆証書遺言は、現行法上「全文、日付及び氏名を自署し、これに印を押さねばならない」(民法968条1項)と規定され、また、遺言書に加除、訂正を加える場合は、「遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない」(同条2項)と規定されています。
自筆証書遺言は遺言者一人だけで作成でき、もっとも簡便な遺言書作成方法だと言えるのですが、遺言者死亡後にその効力を発生させますので、遺言者に真偽を確認できません。それだけに方式が厳格になっています。
「全文自筆」もその一つで、例えば不動産や預貯金を多数お持ちの方は、各土地や建物、金融機関口座などを特定する事項を、一々手書きで全部記載しなければなりません。目も疎くなっていたりすると、記載の途中で地番や口座番号を書き間違ったり、書いておくべきことを書き落としたりしてしまい、それに気付かない、ということも生じます。しかし、遺言者が死んでしまうと、それが書き間違いなのか、別の意味があるのか、第三者からは分からないということも生じ得ます。そうすると、少なくともその部分に付き、この遺言書は有効か否かの問題が生じてしまいます。「そもそも論」としていえば、遺言の内容にも重要な部分とそうでもない部分があり、遺産の特定に付いてまで自書を求めることにどれほどの意味があるのか、書き間違いの生じ得る自書よりも正確性が担保できる方法があるなら、一定の範囲ではそういう方法も認めるべきではないか、という疑問もあります。そこで、中間試案では、不動産や預貯金などの特定に関する事項に関しては自書を求めなくても良いように改正しようということになっています。例えば不動産目録や預貯金目録などは他の人に書いて貰っても、ワープロなどで作成しても良いことにしよう、というわけです。登記簿謄本や通帳等をそのままコピーして使っても良いか、というのは一つの問題ですが、そのままのコピーの方が正確ですから、特に禁止する理由もないとは思います。ただ、遺産の特定が自書でなくても良くなるとは言っても、その目録等が遺言書の不可分の一部であるということは何らかの形で担保する必要があります。遺産目録をそっくり取り替えられてしまうと困るからです。従って、遺産目録のそれぞれの頁に署名、押印するという程度のことは必要になります。
なお、加除、訂正の方式に関しては、やはり厳格な方式によるべきだという点では争いがありませんが、自書があれば本人の意思で加除、訂正したことは確認できますので、「押印がないから無効」ということもない、ということで、押印までは要らないことにすべきだと提案されています。
次に、「自筆証書遺言の公的保管制度の創設」が提案されています。自筆証書遺言の難点の一つとして、その保管をどうするか、が挙げられます。例えば、「父は遺言書を書いたと言っていたが、父が亡くなってからどこを探しても見当たらない。」といった事案が時々見受けられます。また、そのことで「誰かが遺言書を隠した(捨てた)」といった疑心暗鬼を生んでしまうこともあります。
そこで「公的機関」で保管するという方法が提案されています。現在、公正証書遺言は、原本が公証人役場で保管され、最寄りの公証人役場に行けば、どの公証人役場で作成した遺言でも検索可能ですから、自筆証書遺言についてもそういう制度があれば便利です。総論的には反対する理由もないと思います。
しかし、各論的には、まだ様々な問題点があります。自筆証書遺言について公的に保管する制度を完備しようとすれば、まずはそのための人的物的施設、環境が必要です。全国津々浦々で利用できるようにするというのであれば、施設数や担当者数も半端な数ではなくなります。また、例えば遺言者が転居してしまった場合に、どこからでも検索できるようにしようとすれば、情報の集中管理と施設間での全国的ネットワークが必要です。物理的な建物としては市町村役場を活用しようという案もあるようですが、仮に保管施設としてはそういう既存の建物を活用できるとしても、要員をどこの管轄にするかとか、前記のネットワークの構築をどうするか、どの機関が責任を持って全体を管理するか、といった問題もあり、予算措置も含め、なかなか一筋縄ではいかないでしょう。
実は、大阪弁護士会でも、この遺言書保管制度を業務の一環として行なったことがあるのですが、利用者が少なく、結局廃止されたという苦い経験があります。元々日本では遺言書の作成されること自体がまだまだ少ないのです。高齢化社会の到来ということもあり、今後は遺言書作成の増加が見込まれるとはいっても、一定の国費をつぎ込んで制度を構築するのであれば、国自身も先行して遺言書作成に関するより一層の広報活動を行なうべきでしょうし、その結果として、どの程度の需要が(特に自筆証書遺言で)見込めるのかの調査を先行させるべきではないかとも思います。需要の十分ないところに十分すぎる立派な制度を構築しても「宝の持ち腐れ」になります。赤字の垂れ流しを防ごうとすれば保管料金が極めて高額になりかねず、そのことが利用者減少にもつながるという悪循環も生じます。
その意味では、前記の「公証人役場」に自筆証書遺言も保管して頂けるかどうかについても確認、検討する余地があるのではないかとも思われます。
「必要かつ有益な制度であるから、金に糸目は付けない。」といわれれば別ですが、相当の金額になる税金を投入してでも自筆証書遺言の保管の制度を完備すべきかどうかについては、「費用対効果」も見込んだ政治的な選択の問題になるのだろうと思われます。
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